多様な価値判断の客観性

理想をどのように設定するか。最終的に幸せかどうかが価値判断となると、判断が主観に寄っているような気がした。しかし、主観の元となるものが文化によって形成される社会規範であるため、主観にみえるも社会のルールに従っている。引き継がれてきた文化は元々、自然の中で生きる知恵の蓄積であり、自然との付き合い方にルーツを持つため、社会規範の判断は自然の中での判断であったのかもしれない。しかし、人間関係において、時間軸の縦の繋がり、空間の横の繋がりも薄くなっている現在は実感する文化が希薄化し、社会規範も揺れている。個人主義を集めた目標はルーツがバラバラで、目標も分散しうるのではないか。価値判断の重なり合う合意を主観に設定したように見えて共通する客観性をどのように形成するのか。人として、種として前提を下げながら再度構築していくことにヒントを見出す。

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