幸せと実証

幸せを目標にすることは、幸せなのだろうか。幸せは目標にするものなのであろうか。日本的には、損得勘定のない周囲が幸せにしている、そしてどのように行動に起こしてきたかの積み重ねとして過去からのグラデーションの今、幸せだと感じる。行動を積み重ねるにもどうしたいか認識をして行動する。前提の認識に合致するような行動の積み重ねが幸せを生むのか。幸せを目標にしても目標にしなくてもいい、認知に合致してもしなくてもいい。認知を認知する境界を持たせないこと、メタ認知にも境界を持たないこと。時間、空間の幅を広げていくと、ただあること、西田幾多郎の「実在」というところに繋がるのではないかと考えると、とても興味深い。

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